暗いトンネル2006年11月22日 00:00

日記を書けなくなって随分立ってしまいました。 長かったような、短かったような。 赤ちゃんを授かって、この世にこんな喜びが有ることを知ってから約一月後に流産しました。 稽留流産という私にはどうしてあげることできない、気付いてあげることも出来ないものでした。 頭の中はどうして?なんで私の赤ちゃんが?信じられなくて、受け入れられなくて、待合室にいる他の妊婦さんがどうしようもなく憎らしくて憎らしくて・・・  。10人に1〜2人の割合で起きるものだとしても、どうして私が、どうして私の赤ちゃんにそれが起きなくてはいけないのか到底納得なんてできませんでした。一週間後の診断で明らかに先週よりボンヤリとした輪郭になってしまった赤ちゃんを見て奇跡は起こらなくて赤ちゃんは死んでしまってこれが現実なんだと思いました。入院、手術とどんどん進む現実も私の前をただ通り過ぎていく出来事としか思えない。夫、両親、義両親、心配してくれてるのは分かっていたけど心の中では誰にもこの苦しみは理解してもらえないと慰めの言葉も神妙な顔をして聞きながらも受け止めることができない。母と義母は流産経験があったのでその時の話などしてくれて「必ずまた授かるから。」と励ましてくれたけど、その後共に二人の子供に恵まれた人にもう子供に恵まれないかもしれないと怯える私の気持がわかる筈がないと心を開くことが出来ない。ひとりぼっちで暗いトンネルを、出口も見えない道を歩くような気持の毎日でした。本当はそうじゃなかったんですけどね…なにも見えなくなってしまっていました。特に義母がする義甥っ子や義姪っ子の話が嫌で嫌で交流を持つのが重荷になっていました。心配して胸を痛めていたのに意味もなく逆恨み(?)しているんだからヒドい嫁ですね。同情されて可哀想と思われるのイヤ!また出来るからって励まされるのもイヤ!何もかも嫌で嫌で心配してくれる友達にも会えず、体力も落ちてホルモンバランスも崩れて眠って、泣いて,また泣いての日々。少し立ち直ってもちょっとしたことで又気持が落ち込んで、休んでばかりの自分が怠け者に思えてしかたない毎日。 元の自分に戻りたい!どうしたらいいのか分からない辛い毎日でした。

夫の存在2006年11月22日 18:37

夫は本当に献身的に支え続けてくれました。たまに我慢しきれず言い争いになることもありましたが、それも暗く排他的になり前を全く見ることが出来ない私に業を煮やして…と言った感じでした。仕事も忙しく自分の体調も思わしくないのに。今振り返ってみるとこんなに私を支えてくれていたのにヒドい言葉を浴びせることも珍しくない私でした。この人はお腹にいた赤ちゃんの命が失われたことを悲しむ私の気持が理解できないんだ、悲しんでる私を見て私だけ、私の体だけ立ち直ってほしいと思ってるんだ、赤ちゃんを偲んで泣いたりはしてくれないんだ…冷たい人だ。そんな感情すら抱いてしまう。本当に自分が嫌で嫌でしかたありませんでした。感情的になり暴言を吐き泣いたりわめいたりする私に夫は嫌にならなかったんでしょうか?もうやっていけないと思わなかったんでしょうか? 私には分かりませんが、夫は寄り添い続けてくれました。そうして徐々に私は回復していくことができました。

母のこと2006年11月22日 19:01

そして今回の出来事で母が私に寄せてくれている愛情が本当に深いものであることも知りました。麻酔から覚めたとき私の頭をなでて、しっかり手を握って、母は泣いていました。そして何度も何度も「もう大丈夫だからね、もう終わったからね…。」と繰り返していました。本当にこのお母さんの子供に生まれてきて良かったと30才にして思いました。大切に育ててきてくれたけど長女の私は心底甘えたり、頼ったり何となく上手く出来なくて弟を羨んだりする子供でした。どんな私でも親は愛して、受け入れてくれるんだと思いました。私が私なりに幸せに生きていくだけで両親は喜んでくれていたんですね。そして困難や苦しみ、悲しみに襲われた時は幾つになってもそれらのものから私を守ろうとしてくれるんだと言うことも。夫と両親、そして表立つことを避けてひたすら影から心配し見守り続けてくれた義両親のためにも立ち直りたいとようやく思えたのは10月に入ってから、手術から2ヶ月近くたっていました。

転機2006年11月22日 19:23

かなり立ち直るきっかけになったのは10月末に行った海外旅行でした。 マレーシアのランカウイ島に三泊五日で行きました。 夏を暗い気持で過ごしてしまった私にとって遅く来た夏休み、と言う感じでのんびり過ごせました。いつもと違う場所で、いつもと違うことをする。ただそれだけのことがこんなにも気持を変えてくれるなんて驚きました。 あまりに帰国して軽くなった気持に自分でも躁鬱の躁の状態だったらどうしようと心配になる程でした。 急に元気になったわけではなくて、みんなの支えで溜まっていった元気のもとが旅行で満タンになって立ち直れたんだと思います。使い古された言葉だけれど、人は一人では生きていけないのです。誰かに支えられたり、支えたりして生きている。私はこんなに家族に支えてもらえたから立ち直れました。感謝しています。本当にありがとう。ひとりぼっちで暗いトンネルを歩いていたわけじゃなかった。となりにはいつも夫がいてくれて、見守っていてくれる両親たちがいたのです。また赤ちゃんを授かる日が来るように自分の体を信じて生きていかなくちゃです。…早速子作りのペースの事で感謝すべき夫をグッサリ傷つけた私ですが(笑)こんなに素敵なお父さんと頼りになるおじいちゃん、おばあちゃんが四人も待っているのだから早く赤ちゃんが来てくれるといいな。夫と仲良くしながらのんびり待つことにします。

kate spade2006年11月30日 18:23

今日は父のロス旅行土産を頂きに(笑)実家に行ってきました! お願いしていたkateのバックとご対面。 想像より若干大きいけどかわいい〜♡ 私の記念すべき初kateです。 早速明日の母とのお出かけでデビューさせたい…天気晴れだったっけ?